オークラホールディングス

オークラスタイル

森永耕次

森永耕次

営業部マネジャー
2004年入社 近畿大学卒
私の歴代No.1機種
大花火
私にとってパチンコとは

森永耕次太宰府店の店長時代、森永は本部からの指示をあっさりと断った。指示内容は、1円パチンコと5円スロットを 組み合わせた新展開。営業成績打開の切り札だ。「太宰府はもともとコアなスロットファンが多かった店。1円パチンコには賛成でしたが、スロットはまだ20円のまま立て直す道があるかなと」。その考えを詳細なデータと企画書にまとめて本部にプレゼン。そして言葉通り、広告戦略の工夫を重ねて業績回復に成功。「オークラは自由に言えるし、やらせてもらえる会社。僕の性格に合ってますね」。現在は、マネジャーとして複数店舗を任されるようになった森永。次は店長を育てる番だ。森永のように自由で元気のある店長が現れるのはもうまもなくだろう。

堂本勇生

堂本勇生

店長
2004年入社 佐賀大学卒
私の歴代No.1機種
クラブロデオかアヴァンギャルド
私にとってパチンコとは
青春

堂本勇生一度も泣いたことがない父親を、泣かせた。オークラ入社を報告した日のことだ。両親の猛反対を押し切って入社したのは、どうしても店長になりたかったから。大企業で“その他大勢”になるより、年商数十億の店を仕切る魅力に惹かれたのだ。だから入社2年目に本社人事課への異動を打診されたときも、一度は断ったが「もう一週間考えてみないか」と言われ、これもチャンス、と思い直した。そして説明会から入社まで面倒見た新人の導入研修では、男泣きに泣いた。「みんな学生気分が抜けないまま研修に入りますが、研修を終えると見違えるほど逞しくなる。ああ俺が採用した奴らがこんな立派に、と思うと、うれしくてつい…(笑)」。その後、店舗に復帰。目標だった店長の座を射止め、グループ最多台数の店も任された。堂本のブレないオークラスタイルがここにある。

野田和喜

野田和喜

営業部マネジャー
2006年入社 長崎県立農業大学校
私の歴代No.1機種
CRマジカルカーペット
私にとってパチンコとは
日本の文化

野田和喜店長は経営者。チェーンオペレーション業態の企業ではありふれた宣伝文句だが、少なくとも年商20億、大きい店だと100億規模のオークラではガゼン真実味を帯びる。そのリアルな“経営者の日々”を、野田は弱冠23歳で手に入れた。「支社長に呼ばれて“今度つくる店、任せるよ”と」。野田は喜んで承諾。荷が重いどころか「そろそろかなと思ってた(笑)」というから、大物だ。「“メンバーも指名していいよ”と言われて、ますます盛り上がりました」。景品カウンターの仕組みづくりはこの人に、行政との交渉はあの先輩に…と、思い通りの“組閣”に成功。バイトの採用・教育もイチから手がけ、みんなでオリジナルの制服も考えた。「まずは理想の店をつくりあげ、その次は…チャンスはよりどりみどりです」。野田のサクセスストーリーは、まだ始まったばかりだ。

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